林望 (リンボウ先生/作家)
古来、日本人にとって、鳥は「魂を運ぶもの」であった。各地に残る鳥の芸能がそれを教えている。津村師の創作能『朱鷺』には、この古い血の騒ぎが感じられる。人が鳥となり神となる、命への祈り。その創作過程を淡々と描き切った力編である。
坂東玉三郎 (歌舞伎俳優)
幻の鳥を題材にした能「朱鷺」は佐渡の素晴らしい環境に守られて生まれました。 古典として益々磨かれて行くことを期待しています。
森山開次 (現代舞踊家)
この作品を拝見して、先ず心に残ったものは「トキ」という鳥の名とともに「時」でした。過去の世界にタイムトリップさせてくれるのは、能の楽しみのひとつですが、過去を語りながら今を見つめる「時の舞台」。単に過去のものではない、今を生きる能。私は津村禮次郎さんを、今を舞う能楽師であると思っています。その根底にあるのは創作するこころ。それは、世阿弥も同じであったでしょう。そして、このドキュメントは、観た人に新たな未来への創作の意欲をかき立てる貴重な記録となるでしょう。
大津幸四郎 (映画カメラマン)
ポップアートとしての魅力に富んだ民衆能の世界を『朱鷺島』のカメラは禁欲的に静かに見続け、記録した。その端正な映像はこれまた静かな語りの流れを縦糸に、島人をはじめ、出演者の能舞台にかかわる意欲的な姿を横糸に、ちょっと厚手のタペストリーに織り上げられた。しばし手に触れてみるに値するタペストリーに。 →続きを読む
ピーター・バラカン (ブロードキャスター)
日本の能舞台の3分の1以上が佐渡島にあるとは!その佐渡に特化し、一度しか上演されない創作能の貴重な記録です。
山村浩二 (アニメーション作家/『頭山』など)
津村禮次郎さんの創作へ向かっていく積極的な姿勢に共鳴するかのように、編集も余韻を削ぎ落とし、監督の主観や感情など曖昧な表現をなくした純粋な記録映画として、淡々と創作のプロセスを切り取っていく様が潔く、美しい。子どもの言葉が能へと昇華された舞台は、鼓童や花結など異分野の芸能とフランクに融合しながらも、能らしい異時空間を出現させていて、島民とともに観劇を体感しました。
野田秀樹 (劇作家/演出家/役者)
津村さんの挑戦は、いつも私の励みになります。まだまだいろんなことをやれる。いやまだ私などやっていない、やれていないことの方が、こんなにも多いんだなあって。そして、がんばろうって思う・・・
鵜飼哲 (フランス文学/思想研究者)
佐渡では能は日常のなかにある。小学生の詩から創作能を練り上げる能楽師。雨戸を一枚一枚外して能舞台を整える地域の人々。あらゆる物の佇まい、あらゆる人の息づかいをキャメラは大切に記録する。静かに日常を離れ日常に戻る「朱鷺」の舞。生活に育まれた夢幻の色は美しい。
馬場あき子 (歌人)
一つの能が出来上がるまでをドキュメントとして追う。いわば映画と能が二つながら誕生することになる。それも世阿弥の遺蹟がある佐渡に棲息するニッポニア・ニッポン(とき)への思いをうたい上げた能という野生の種のいのちの復活をかけた夢、朱鷺再誕の能に託された願いは大きい。
篠田節子 (作家/第117回直木賞受賞)
人と草木、鳥と虫、そして文化が、佐渡の夏に響き合う。もはや伝統芸能の枠に収まらない総合芸術が、その風土の上に次第に形を成していく様は、驚きに満ちている。津村氏の見事なプロデュースと総指揮は、様々な分野で活躍されるリーダーの方にも多くの示唆と感銘を与えるのではないだろうか。
小沼純一 (音楽/文芸批評家)
そこにあるのは、あるイヴェントがおこなわれるプロセス。淡々としたプロフェッショナルのいとなみを追いながら、ごく自然であたりまえのようにみえるひとつひとつのことどもが、まさに「プロ」ゆえに可能な、垂直 で、凝縮された時を生みだしてゆく。その貴重な瞬間は、それでいて、ごくあたりまえの夏の日の背景とともに、ある。ひとは、この瞬間瞬間、世界のどこかで、こうした代え難いひとのいとなみを、物理的な時間の持続のなかで更新し、出会わなかったり、すれちがったりしなが ら、生きている。
配給:「朱鷺島」上映委員会/後援:佐渡市 佐渡市観光協会/2007年/カラー/Digital/4:3/81分
最新情報 | 作品解説 | 佐渡島と能 | 出演/スタッフ | 劇場情報 | 予告編 | コメント | メディア情報 | リンク | コンタクト | ブログ | 自主上映の案内